朝田寺https://chodenji.jp三重県松阪市の道明け供養と曽我蕭白と花のお寺Wed, 05 Nov 2025 10:18:31 +0000jahourly1https://chodenji.jp/wp-content/uploads/2024/10/cropped-jimon-01-scaled-1-32x32.jpg朝田寺https://chodenji.jp3232 あさみむかしむかし⑤https://chodenji.jp/%e3%81%82%e3%81%95%e3%81%bf%e3%82%80%e3%81%8b%e3%81%97%e3%82%80%e3%81%8b%e3%81%97%e2%91%a4-2/Wed, 05 Nov 2025 10:14:20 +0000https://chodenji.jp/?p=3248意非多神社(土の宮)

朝田町の西に小さな森がある。朝田町の氏神、式内意非多神社である。このお宮さんにはこんな話が残っています。

 千年も前、日本の国は平家(へいけ)源氏(げんじ)に分かれて戦争(せんそう)をしていました。源氏の大将であった源義朝(みなもとよしとも)は、平家(へいけ)(ま)けて、尾張(おわり)の国(今の名古屋(なごや))まで(に)げたのですが、長田荘司忠致(おさだのしょうじただむね)(おさだのしょうじただむね)(ころ)されてしまいます。長田荘司忠致(おさだのしょうじただむね)は、源氏(げんじ)大将(たいしょう)(よし)(とも)(くび)(と)ったことで、平家(へいけ)の中でも(たか)(くらい)についていました。

 ところが、しばらくして、(よし)(とも)であった(より)朝(よりとも)(とも)平家(へいけ)に勝って、日本の国を(おさ)めるようになると、「父を(ころ)した忠致(ただむね)(つか)まえろ」との命令(めいれい)が出したのです。

 伊勢(いせ)にかくれていることを(し)った(より)(とも)は、家来(けらい)伊勢(いせ)に行かせて、忠致(ただむね)をさがさせました。そしてついに朝田(あさだ)庄屋(しょうや)さんであった(けい)太夫(だゆう)の家にかくれていることを(つ)(と)めました。

 (より)(とも)から命令(めいれい)された(さむらい)たちは、朝早くから庄屋(しょうや)さんの家を取り囲(と かこ)みました。 忠致(ただむね)は、(かたな)(も)って、家の裏庭(うらにわ)(と)(だ)し、朝田から立田(たつた)和屋(わや)へ、それから佐奈(さな)まで(に)げ、(ふたた)び朝田へともどってきました。しかし、大勢(おおぜい)(お)にはかないません。ついに脇野九郎(わきのくろう)(ざ)衛門(えもん)という(さむらい)(くび)をはねられてしまいました。その首は、朝田の西にあるお宮さんまで(と)んで、土をかんで(し)んだそうです。

 朝田のお宮さんは『()()多神社(たじんじゃ)』といいますが、「(つち)(みや)」ともいわれます。土の宮いう名は、このお話からその名がついたと言われています。

 土の宮に土でつくったお団子を供えお祈りするといぼが取れるということで、今もお参りする人があります。拝殿の右を見ると、土のだんごが供えられています。土の団子をお供えするのも長田荘司忠致のお話に関係するのでしょうか。

 2月11日に行われる「よいよい神事」は、朝田から立田、和屋、佐奈へと逃げ、またその道を帰ってきた長田庄司忠致の足跡を清めるお祭りとして、今もなお行われています。(「よいよい神事」については後日、あさみむかしむかしでお話します)

]]>
朝見むかしむかし④https://chodenji.jp/%e6%9c%9d%e8%a6%8b%e3%82%80%e3%81%8b%e3%81%97%e3%82%80%e3%81%8b%e3%81%97%e2%91%a3/Mon, 03 Nov 2025 12:57:45 +0000https://chodenji.jp/?p=3245佐久米古墳群

真盛橋の北(川下へ)200m、金剛川と真盛川の間に位置するのが糠塚

その東150mに位置するのが丸山塚

県道大淀線が国道42号線と交わる信号手前100m、道路が区の字に曲がるあたりにあったのが大塚山古墳

大塚山古墳は地籍図から全長45mほどの帆立貝式古墳と推定され、鏡3面と眉庇付冑が出土しています。鏡は松阪市の文化財センターに保存されています。冑は流れ流れて今はメトロポリタン美術館にあります。県道を造る際に古墳の土が使われ、作業に当たった村人たちが骨董屋に流したそうです。

こうした出土品から5世紀後半の頃の古墳と推定されます。当時、松阪市域では、大塚山古墳と宝塚2号墳、岡本1号墳(高地蔵古墳)の3基の帆立貝式古墳が確認されていて、3つの大きな勢力があったことが想定されます。

朝見地区では、縄文時代後期・弥生時代後期・方形周溝墓・古代・中世の様々な遺跡も発掘されていて、氾濫原でありながら古くから人々が生活されていたことがうかがわれます・

]]>
朝見むかしむかし③ 真盛川・真盛橋https://chodenji.jp/%e6%9c%9d%e8%a6%8b%e3%82%80%e3%81%8b%e3%81%97%e3%82%80%e3%81%8b%e3%81%97%e2%91%a2%e3%80%80%e7%9c%9f%e7%9b%9b%e5%b7%9d%e3%83%bb%e7%9c%9f%e7%9b%9b%e6%a9%8b/Sat, 01 Nov 2025 12:30:57 +0000https://chodenji.jp/?p=3242

朝田町の西を流れる二本の川、堤防の高い方が金剛川。低い方が真盛川です。真盛川にはこんな話が残されています。

真盛上人と真盛川

今から五550年ほど前のお話です。

津市一志町大仰(おおのき)というところのあるえらいお役人の家にひとりの男の子が生まれました。宝珠(ほうじゅ)(まる)と名付けられた男の子は。七才でお寺に入り、十四才で(しん)(せい)というお坊さんの名をもらいました。十九才から二十年間、琵琶(びわ)()の北にある比叡山(ひえいざん)(きび)しい修行(しゅぎょう)をした真盛は、山を下りて、「なむあみだぶつ」ととなえることで、多くの人を救おうとました。津に西来寺(せいらいじ)というお寺があります。真盛上人(しょうにん)というお坊さんのために建てられたお寺で、真盛上人はこのお寺から百日間、朝田寺のお地蔵さんにお参りされたそうです。

(しん)(せい)というお(ぼう)さんが、津の西来寺(せいらいじ)から朝田のお地蔵(じぞう)さんに百日(まい)りをされていたとある日のこと、朝田(あさだ)西(にし)にある川にさしかかった時のことです。

「ああ、どうしよう」

「だいじな(はし)(なが)れてしもうた。」

きのうの大雨(おおあめ)で橋が流され、村人(むらびと)たちはたいそう(こま)っている様子でした。それを(み)た真盛上人(しょうにん)は、

「村の(みな)さん、みんなで力を(あ)わせて橋をつくりましょう。」と村人を(はげ)まし、村人の先頭(せんとう)に立って、(はたら)きました。

「ありがとうございます。お上人(しょうにん)のおかげで、()こう(ぎし)の田んぼにも行けるようになりました。これからは、この川を(しん  )盛川(せいがわ)、この橋を(しん)(せい)(ばし)とよびましょう。」

そのころ、この川は上川(うえがわ)と呼ばれていたそうですが、真盛上人のおかげで、橋ができたことに感謝(かんしゃ)して、上川(うえがわ)(しん)盛川(せいがわ)(はし)(しん)(せい)(ばし)()ばれるようになったそうです。

]]>
コーラスゆずり葉コンサートhttps://chodenji.jp/%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%82%b9%e3%82%86%e3%81%9a%e3%82%8a%e8%91%89%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%83%88/Sat, 01 Nov 2025 11:27:57 +0000https://chodenji.jp/?p=3238

父が他界し、住職を引き受けたのが平成3年10月1日。それから1年と2か月、平成5年1月に結成されたのが「コーラスゆずり葉です。前年に行われた「松阪市合唱フェスティバル」の公募コーラスを指揮したのがきっかけで誕生した合唱団です。

現在団員は40名、依頼32年続いています。コロナで開催できなかったこともありますが、3年に一度のコンサートを目標に練習を積んできました。

コーラスゆずり葉第9回コンサート・・・11月16日 農業屋コミュニティセンターで  

 第1・3・5の日曜日はコーラスゆずり葉の練習日、この日は私のストレス解消の日です。お寺のしごとがいやではありませんが、お寺を離れることができない私にとっては、この日ばかりは、何も考えずに思いっきりコーラスを楽しめる日なのです。今回は、『秋と冬の童謡唱歌のメドレー』、永六輔・いずみたくコンビでヂュークエイセスが歌った『にほんのうた』から5曲、朝ドラから3曲他1曲 、娘の真美とピアノ伴奏者の麻美~まみまみコンビで1ステージ。

楽しいステージになるよう頑張りまーーーース。  入場には整理券が必要です。 

]]>
          お彼岸終わるhttps://chodenji.jp/%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%81%8a%e5%bd%bc%e5%b2%b8%e7%b5%82%e3%82%8f%e3%82%8b/Sun, 28 Sep 2025 11:52:29 +0000https://chodenji.jp/?p=3227永代供養墓に高野槙をお供えし、永代供養65霊の戒名を読んでご回向しました

永代供養のお墓にお参りされる方、けっこういらっしゃいます。あちらの世界から見ていらっしゃたら、きっと喜んでいらっしゃるでしょうね。「お寺まかせにしてないいんだ」って。私もお参りする方の顔を見ると嬉しくなります。

水向け地蔵

松阪の猟師町・新松ヶ島には、春・秋のお彼岸に、亡くなられた方のご供養にと、松阪24地蔵にお参りする風習があります。その際、「お地蔵様の印をおした紙の右肩に法名をかいたもの」を用意して、松阪市内24のお地蔵さんに貼ってお参りします。

朝田寺が1番、すでに無くなったお地蔵さんもあるので、その分は朝田寺に貼っていかれます。古くから続いている風習が今もなお続いているのは素晴らしいこと、お寺としても答えて絵いかねばなりません。

お地蔵さんのよだれかけも新調 

お彼岸には、毎年お地蔵様のよだれかけが新しくなります。永代供養にお参りになるかたが、境内のお地蔵様のよだれかけを作ってかけ替えてくださいます。

]]>
鯉の稚魚100匹誕生https://chodenji.jp/%e9%af%89%e3%81%ae%e7%a8%9a%e9%ad%9a100%e5%8c%b9%e8%aa%95%e7%94%9f/Wed, 24 Sep 2025 12:57:04 +0000https://chodenji.jp/?p=322220年前には30匹ほどいた鯉がだんだん少なくなって、3匹だけになっていました。

鯉を買ってふやさないといけないかと思っていたら何と!何と! ちびっ子たちが                   100匹くらい泳いでいるではありませんか。小さい鯉用の浮き餌をあげると、次々と寄ってきて                                    餌をついばんでかわいいこと!、かわいいこと!      

毎朝池を見て、餌をあげるのが楽しみです。元気で育てよ‼

]]>
写経会を開きます 参加ご自由https://chodenji.jp/%e5%86%99%e7%b5%8c%e4%bc%9a%e3%82%92%e9%96%8b%e3%81%8d%e3%81%be%e3%81%99%e3%80%80%e5%8f%82%e5%8a%a0%e3%81%94%e8%87%aa%e7%94%b1/Sun, 21 Sep 2025 01:34:26 +0000https://chodenji.jp/?p=3218

令和7年9月28日(日)午後1時30分より、朝田寺書院にて

 ご連絡いただかなくても参加いただけます。書き上げた写経は、天台宗総本山比叡山延暦寺東塔に納経します。

念珠について(念珠って何? 持ち方)等のお話のあと写経を始めます。

椅子に座っての写経です。正座が良い方は、お席を用意しますので、おっしゃってください。

 準備いただくもの

   筆・サインペン・ボールペン・鉛筆、書きやすいものをご用意ください。

   念珠 延暦寺への納経料1,000円

 

]]>
永代供養墓の掃除https://chodenji.jp/%e6%b0%b8%e4%bb%a3%e4%be%9b%e9%a4%8a%e5%a2%93%e3%81%ae%e6%8e%83%e9%99%a4/Wed, 27 Aug 2025 20:44:49 +0000https://chodenji.jp/?p=3213 昨日、永代供養墓の掃除をしました。この墓地には、大きな槙(まき)の木が植わっている為、その落ち葉が散らかります。23日まで続いた地蔵盆(お会式 おえしき)の行事が終わり、お堂と境内(けいだい)の後片付けも一段落したので、半月ぶりだと思います。その為、落ち葉の量も多く、手こずりました。

250827130225769

]]>
朝田地蔵まつり③https://chodenji.jp/%e6%9c%9d%e7%94%b0%e5%9c%b0%e8%94%b5%e3%81%be%e3%81%a4%e3%82%8a%e2%91%a2/Sun, 17 Aug 2025 13:01:03 +0000https://chodenji.jp/?p=3205 (へいちょう)

 8月23日9時 最後の花火が終わると、お地蔵さんの厨子の扉を閉じる「閉帳の儀」が始まります。

 8月16日から始まった地蔵盆の供養が終わる日、夜の9時には、堂内は衣類をお焚き上げに来られた方々でいっぱいになります。故人に戒名を読み上げ読経が終わると、いよいよ閉帳の始まりです。「出仕の6人の僧侶の唱える「願文(がんもん)~お地蔵さんの徳をたたえる言葉)」の中、お地蔵さんの前の幕が静かに降りていきます。「なも じぞう がんのうそん・・」20回唱えて幕が下り、厨子の扉が閉められます。

 盆踊り・採灯護摩・花火が終わった静かな境内に僧侶の声が響き、静かに幕が下りる様は、荘厳で心穏やかな時間が流れていくようで、参詣された方々の心がひとつになったようで、私が一番大切にしている法要です。

 お焚き上げ

 閉帳の儀が終わると、衣類のお焚き上げです。

 身近な肉親が身に着けていた衣類を竹の先につるし、初盆の位牌とともにお焚き上げします。故人の極楽浄土を願い、ただそれだけを願い、燃える衣類と高く燃える炎を見つめ、涙していらっしゃる人もいらっしゃいます。

 「どうか、これを機に、悲しみを断ち切って、明日に歩みを進めて下さい。」私はいつも、そんな言葉で締めくくります。

]]>
朝田地蔵まつり②https://chodenji.jp/%e6%9c%9d%e7%94%b0%e5%9c%b0%e8%94%b5%e3%81%be%e3%81%a4%e3%82%8a%e2%91%a1/Thu, 14 Aug 2025 12:31:59 +0000https://chodenji.jp/?p=3198本尊地蔵菩薩御開帳

 8月16日~23日 本堂の受付を通せば、ご自由にご拝観できます。

 國指定重要文化財 榧材一本造り 平安前期

 像高169㎝の胸を張った堂々としたお姿で、やや口をへの字に曲げた厳しいお顔も、右から見ると森厳な面持ちのお顔に出会うことができる。左手で願い事を受け、右手をお参りする方に向ける「与願印」を結ぶ。左手の宝珠は後、地蔵信仰が盛んになる頃に持たされたものである。

江戸時代は紀州家の「安産と延命のご祈祷」をしたことから、安産と延命のお地蔵さんでもあります。8月16日から23日の間はお地蔵様の左手から延びる紐を手に、お参りするこができます。

]]>