朝田寺動物のお墓・・・愛犬フウ太
フウ太が朝田寺にやてきて、朝田寺の動物墓地に眠るまでには、こんな物語がありました。
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娘が中学校2年の秋でした。朝田寺に続く参道に捨てられていた子犬を拾ってきました。
娘は、お父さんとお母さんに知られると反対されはしないかと、兄弟で相談して、子犬を内緒で納屋で飼うことにしました。が、そんなのはすぐにばれてしまいます。
生き物を飼うのは大変なこと、お寺には、前に飼われていたコリーが死んでから犬はいなかったのですが、娘がかわいそうに思って拾ってきた犬を無碍に帰すわけにもいかず、お父さんとお母さんは朝田寺で犬を飼うことを許してくれました。名前は風来坊の風をとって『ふう太』と名付けられました。
冷たい風、凍てつく夜、お母さんはフウ太がかわいそうにと、玄関に毛布を敷いて寝かすことにしました。それでも寒そうだからと部屋の中にいれることにしました。子犬のフウ太はいたずらもの、籐のタンスの足を噛んだり、おしっこを植木鉢にかけたりしました。でもフウ太はとても利口な犬で、一回叱ると二度と同じ失敗をしませんでした。
ノラ公で柴犬より一回り大きなフウ太でしたが、おとなしい人なつっこい性格から、お寺に来る人の人気者、みんなにかわいがってもらいました。
それから15年過ぎた秋のことです。フウ太は1年ほど前から、腹にできた癌の治療を続けていました。フウ太を拾ってきた張本人の娘は、東京芸大に進み、院へ、二期会へと歌の勉強をしていてお盆と正月くらいしか家には帰りませんでした。その娘がウィーンに留学することになって、旅立つ前に松阪に帰ってきた夜のことでした。その頃のフウ太は抱いてあげないと自力では動けない身体になっていました。夕食が終わってフウ太の様子を見にいった時のこと、寝ていたフウ太が突然立ち上がり、ふらふらと5・6歩あるくと、その場に倒れ痙攣を始め、私の腕に抱かれて息を引き取りました。平成18年9月18日、フウ太の最後の日でした。
それも、『めったに帰ってこない娘が家にいた夜なんて・・・・・。拾ってくれた娘に会えるまではと頑張っていたのだろうか・・・・・』、偶然では片付けられない、何かがあるような、そんなフウ太の最後でした。
フウ太は松阪市の斎場、嬉野ヒプノスで火葬され、お骨になった帰ってきました。「朝田寺動物のお墓」の第1号はフウ太。夏には蓮の花が咲く弁天池と生活していた庫裏が見える地に眠っています。
現在、朝田寺の動物のお墓には、7つの墓石が建っています。その墓石に眠る犬たちと飼い主の方々の間にはいろいろな物語があるようです。