天正16年(一五八八年)、松坂城主蒲生氏郷(がもううじさと)が城を築こうと、資材を集める命を出した頃の話です。
朝田町から松阪方面に進むと、真盛川と金剛川、少し離れて名古須川が流れています。名古須川にかかる橋を『橋本橋』といいますが、橋本橋の下流の方に小さな鉄の橋がかかっています。これからお話するのは、その小さな橋のお話です。
朝見村の東、櫛田川の対岸に機殿村(はたどのむら)があります。機殿の井口中町に神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)があります。そこに『夜泣きの松』と呼ばれる大きな松の木があったそうな。この松には不思議な力があってな。子どもが夜泣きをしたときに松の木の皮をはいで枕の下にいれておくっだとさ。するとたちまち夜泣きがおさまったそうな。
ところが、お城の用材にこの松の木を切ることになってな。切った松の木をシュラ(大きな物の下に入れ引きづって運ぶソリのような物)に乗せて、村人たちが引っ張って名古須川の堤防にさしかかった時、シュラが急に動かなくなってしまったとさ。押してもダメ、引っ張ってもダメ。万力をもってしてもまるで根がはえたみたいにびくともしない。 「こりゃ、もう駄目じゃ。きっと神さまの仕業じゃ。神さまの木を切ってしまった天罰じゃ」 恐ろしくなった村人たちは、その場に松の木を置いたまま、逃げ帰ってしまいました。
それから何年かたって、その松の木は、名古須川の橋としてかけられました。
その内、この橋の木が神麻続機殿神社にあった『夜泣きの松』だった知られるようになると、その橋の木を削って枕の下にいれるようになったのです。すると、アラアラ不思議、子どもの夜泣きがピッタと治まるではありませんか。その噂がだんだん広まって、あちことからたくさんの人がやって来て、橋の木を削っていくようになりました。 そのため、木が細くなるたびに、新しい木に取り替えねばならなくなりました。松の木が他の木にかわっても、子どもの夜泣きを治そうと、橋の木を削っていく人が後を絶たなかったそうです。そして、この木を削ることは、100年前まで続いていたとか・・・・・
