
朝田町の西を流れる二本の川、堤防の高い方が金剛川。低い方が真盛川です。真盛川にはこんな話が残されています。
真盛上人と真盛川
今から五550年ほど前のお話です。
津市一志町大仰というところのあるえらいお役人の家にひとりの男の子が生まれました。宝珠丸と名付けられた男の子は。七才でお寺に入り、十四才で真盛というお坊さんの名をもらいました。十九才から二十年間、琵琶湖の北にある比叡山で厳しい修行をした真盛は、山を下りて、「なむあみだぶつ」ととなえることで、多くの人を救おうとました。津に西来寺というお寺があります。真盛上人というお坊さんのために建てられたお寺で、真盛上人はこのお寺から百日間、朝田寺のお地蔵さんにお参りされたそうです。
真盛というお坊さんが、津の西来寺から朝田のお地蔵さんに百日参りをされていたとある日のこと、朝田の西にある川にさしかかった時のことです。
「ああ、どうしよう」
「だいじな橋が流れてしもうた。」
きのうの大雨で橋が流され、村人たちはたいそう困っている様子でした。それを見た真盛上人は、
「村の皆さん、みんなで力を合わせて橋をつくりましょう。」と村人を励まし、村人の先頭に立って、働きました。
「ありがとうございます。お上人のおかげで、向こう岸の田んぼにも行けるようになりました。これからは、この川を真 盛川、この橋を真盛橋とよびましょう。」
そのころ、この川は上川と呼ばれていたそうですが、真盛上人のおかげで、橋ができたことに感謝して、上川は真盛川、橋は真盛橋と呼ばれるようになったそうです。