朝田寺

朝見むかしむかし③ 真盛川・真盛橋

朝田町の西を流れる二本の川、堤防の高い方が金剛川。低い方が真盛川です。真盛川にはこんな話が残されています。

真盛上人と真盛川

今から五550年ほど前のお話です。

津市一志町大仰(おおのき)というところのあるえらいお役人の家にひとりの男の子が生まれました。宝珠(ほうじゅ)(まる)と名付けられた男の子は。七才でお寺に入り、十四才で(しん)(せい)というお坊さんの名をもらいました。十九才から二十年間、琵琶(びわ)()の北にある比叡山(ひえいざん)(きび)しい修行(しゅぎょう)をした真盛は、山を下りて、「なむあみだぶつ」ととなえることで、多くの人を救おうとました。津に西来寺(せいらいじ)というお寺があります。真盛上人(しょうにん)というお坊さんのために建てられたお寺で、真盛上人はこのお寺から百日間、朝田寺のお地蔵さんにお参りされたそうです。

(しん)(せい)というお(ぼう)さんが、津の西来寺(せいらいじ)から朝田のお地蔵(じぞう)さんに百日(まい)りをされていたとある日のこと、朝田(あさだ)西(にし)にある川にさしかかった時のことです。

「ああ、どうしよう」

「だいじな(はし)(なが)れてしもうた。」

きのうの大雨(おおあめ)で橋が流され、村人(むらびと)たちはたいそう(こま)っている様子でした。それを(み)た真盛上人(しょうにん)は、

「村の(みな)さん、みんなで力を(あ)わせて橋をつくりましょう。」と村人を(はげ)まし、村人の先頭(せんとう)に立って、(はたら)きました。

「ありがとうございます。お上人(しょうにん)のおかげで、()こう(ぎし)の田んぼにも行けるようになりました。これからは、この川を(しん  )盛川(せいがわ)、この橋を(しん)(せい)(ばし)とよびましょう。」

そのころ、この川は上川(うえがわ)と呼ばれていたそうですが、真盛上人のおかげで、橋ができたことに感謝(かんしゃ)して、上川(うえがわ)(しん)盛川(せいがわ)(はし)(しん)(せい)(ばし)()ばれるようになったそうです。