朝田寺の坊主の独り言朝田寺の平安前期の聖観世音菩薩腕が折れ、足元が朽ち、お顔の漆がはげて痛ましいお姿ですが、腰をひねった女性らしいしなやかな仏です。
百カ日の法要を『卒哭忌』ともいいます。「哭」とは泣き叫ぶの意味です。それを卒業するのが百ケ日というわけです。故人の死を受け止め、泣くのはこの日でやめましょうというわけです。この日の裁判官は平等王、弁護士は聖観世音菩薩です。
ところで、四十九日まではインドで生まれた考え方で、中国で百ケ日の法要が加わりました。四十九日の審判で、地獄や餓鬼の世界に落ちたとしても、さらなる供養(追善法要)によって救われると考えたからなのです。
百ケ日の後は壱周忌、その後は三回忌、七回忌、十三回忌、十七忌・・・・・・・・と続いていくのですが、実は、七回忌以降の供養は、インドや中国にはなく、日本で生まれた追善法要なのです。一般には五十回忌まで勤めるお寺が多いようですが、百回忌、二百回忌と勤められるお寺もあります。
ちなみに、天台宗の総本山である比叡山延暦寺では、平成24年から3年間、第3世座主で、「往生要集」を表した恵心僧都の1150年忌が営まれています。
では、私たちは何回忌まで追善供養をしたらいいのでしょう。このことについては、回を改めて、私の考えを書くことにします。